健康心理学の第一人者・野口京子氏が語る「態度能力」と「ウェルビーイング」

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日本の心理学の発展に大きく貢献し、紫綬褒章や勲三等旭日中綬章も受賞した心理学者の本明寛の逝去から、すでに10年余りが経つ。しかし、本明の提唱した「態度能力」の理論は今も色あせない。今回は、本明の教え子であり、自身も健康心理学の権威である野口京子氏に、本明が態度能力にかけた思いや、本明が注力したという健康心理学について語ってもらった。(聞き手/ダイヤモンド社 HRソリューション事業室 人材開発編集部)

文化学園大学名誉教授 野口京子

1966年早稲田大学商学部卒業。88年早稲田大学文学研究科心理学専攻修士課程修了。91年コロンビア大学大学院社会福祉学研究科修了。博士(保健学)M.S.W. 。日本健康心理学研究所所長を経て、99年より文化女子大学(現・文化学園大学)教授。現在、文化学園大学名誉教授。全国少年警察ボランティア協会理事、NPO健康心理教育実践センター理事。『理性感情行動療法』(金子書房)、『ストレスを味方にする方法』(河出書房新書)、『50歳から準備する定年後の生き方』(ダイヤモンド社)など、著書多数。

日本初の国際健康心理会議を成功させるために奮闘

――野口先生はもともと大学の商学部に入られて、そこから文学部の心理学専攻に移られたのですよね。

 野口 はい。当時、働く人たちが抱えるストレスが社会で問題視されており、個人的にも精神的不調を抱えた方とお話しする機会があって、心理学の世界に興味を持ちました。本明先生の門下に入ったのは社会人経験を経てからなので、珍しいパターンだったと思います。

 ――師匠としての本明先生はどのような方でしたか?

 野口 気さくで温かく、細やかな気配りもされる方でした。ですが、弟子や担当の編集者の方なんかに対しては手厳しいところもありましたし、私も時折、無理難題を振られましたね(笑)。でも、後で気づくのですが、それによって鍛えていただいたのでした。

忘れもしないのが1991年の夏、本明先生ほか数名の先生方と、サンフランシスコで開かれた米国心理学会に出席したときのことです。この頃から私が研究している健康心理学は“健康に関する心理学からの貢献”を目指す学問です。当時、欧米で急速に研究が進んでいたのですが、日本にはまだ入ってきたばかりで認知度が低い状況でした。2年後の93年に、日本で国際健康心理学会議を行う予定になっており、私たちはその準備のために渡米したんです。

 米国心理学会にはこの分野の重鎮の先生方が大勢参加していたので、本明先生は私に「(93年の会議に)何としてでも大御所たちに来てほしいから、声をかけてきなさい」とおっしゃられて。それで私は次々と、初対面の大御所の先生方に声をかけて回ることになりました。もちろん、急に遠い日本まで来てくださいというわけですから、先生方も手帳を見ながら「うーん」という反応が多かったです。

 それでも、師匠の命を受けた私は必死で「○○博士や、□□博士にもお願いしているので、△△博士もぜひお願いします!」といって、頭を下げて回りました。知り合いの学者が一緒に日本に行くという、その作戦がうまくいったのか、93年の国際健康心理会議には普通では呼べないような重鎮の先生方が大勢いらして、大成功を収めることができました。

――本明先生も野口先生も、会議を成功させることに情熱を燃やしていらっしゃったのですね。本明先生はその後も国際健康心理学会の会長になられたり、アジア健康心理学会議を組織されたりと、国際的に活躍されました。

野口 本明先生は新しい世界を開拓する力を持っておられました。何か新しい理論に興味を持つと、海外へもどんどん出かけられて、私はよく通訳の係をさせていただきました。本明先生は世界の著名な各分野の心理学者――たとえば、ストレス理論で有名なリチャード・ラザルス博士や、臨床心理学者のアルバート・エリス博士など、独特の雰囲気で相手の心をつかむようなところがありました。そうして世界の心理学界で信頼を勝ち得て、さまざまな組織のリーダーを任されていらっしゃいましたね。

リチャード・ラザルス博士ご夫妻と本明寛

リチャード・ラザルス博士ご夫妻(左)と本明寛(右)

態度能力は宇宙飛行士にも必須

――本明先生は、知的能力や技能・技術的能力に加えて、人の能力を測るための ”第三のモノサシ” である「態度能力」理論を提唱されました。野口先生ご自身は、「態度能力」についてどのような認識を持たれていますか?

 野口 態度能力は個々の性質や性格に結び付く力です。紫式部が生きていた1000年以上も前の時代から、人間の性質や性格というのは大きく変わっているわけではありません。AIの登場などで環境が激変していく中でも、人間の性質や性格そのものは変わらないわけですから、結局は人の能力を見極めるうえで、態度能力はいつの時代も重要です。

 私が門下に入ってからも、態度能力に関して雑談、議論をする機会はしょっちゅうありました。本明先生から「あなたは態度能力が高いね」と言われたこともありますよ。先生がよく「態度能力の中でも、特に共感性が大事」と、おっしゃられていたことも印象的です。共感性が高い人は他者を受容し、相手の立場を考えて思いやることができる。この素養がある人ほど様々な人が生活する人間社会で多くの物事を成し遂げられる、と先生はおっしゃっておられたし、私自身もそのような方々をたくさん見てきました。

――野口先生は宇宙飛行士の選抜試験にも、心理学分野のご担当として関わっておられたそうですね。その際、候補者の態度能力をチェックされたのですか?

野口 本明先生が、最初の宇宙飛行士選抜時から心理学分野の責任者で、態度能力を見ることが重要だとおっしゃっていました。私は途中からご一緒させていただき、後を引継ぎました。宇宙飛行士というと、特別に優れた選ばれし人たちというイメージがありますが、彼らに共通しているのは大変親しみやすい人間性です。それは、選考の段階で知的能力や技能的能力だけではなく、態度能力も重視しているからです。

 さまざまな圧力や困難が予想される長期の宇宙滞在で、一定以上のパフォーマンスを維持し続けるためには、ただ頭がよくて技術を持っているだけでは不十分。協調性や指導性、それに先ほども触れた共感性のような、チームワークを高める資質が非常に重要になってきます。そのため、NASAで公開されている宇宙飛行士の資質の多くの項目を含み、協調性や共感性なども測れる態度能力を日本の宇宙飛行士の選抜試験に取り入れたのだと思います。態度能力は先に挙げた協調性などの特性項目を測定し、わかりやすく数値化するのに適しているからです。

 ――たしかに、閉鎖的な空間で作業をすることが多い宇宙飛行士には、性質的に向き不向きはあるでしょう。そのほかに、心理学の見地から宇宙飛行士に求められる能力はありますか?

 野口 変化対応力がその一つですね。視点を柔軟に変化できること、環境の変化によるストレスに負けない心なども求められてきます。結局のところ、一般の社会人と宇宙飛行士で求められる資質はそう変わりません。基礎力と応用力がある。生活習慣を整えることができる。使命感が強い。夢を持ってそれを実現できるなど――ただ、宇宙飛行士はそうした特徴を一般の人より強く持っているというのが、大きく違っている部分です。日本の健康心理学の発展と宇宙飛行士選抜の歴史は重なっていて、よく本明先生と、「宇宙飛行士は究極の健康心理士ですね」と話し合ったのを覚えています。

ウェルビーイングの追求が世界を穏やかにし、平和へと導く

――先ほどのお話にもありましたように、健康心理学という分野が日本に入って来たのは1980年代の終わり頃からで、その頃の本明先生は、すでに研究者として円熟期に入られていたと思います。そこからさらに、健康心理学の普及に邁進されたというのが、先生のすごいところですね。

 野口 本明先生は必要だと思ったら、さっさと実行に移す――言うなれば、打ち上げ花火を上げるのが得意な方でしたから。それを一発の花火で終わらせず、国際会議から個人の研究に、実践に発展させ、盛り上げていくというのが、私たち後進の研究者の役割でした。

 ――野口先生ご自身も、日本における健康心理学の黎明期から、海外の先進的な文献の翻訳など、さまざまな形で発展に貢献されています。以前から、ご著書などで「健康心理学はオーケストラ」という独特の表現をされていますが、この言葉について解説をお願いできますか?

野口 N.Y.フィルハーモニーを聴いているときに、舞台を眺めていて浮かんだのです。オーケストラは、さまざまな楽器の奏でる音色の調和、ハーモニーによって成り立っています。健康心理学もこれと同じで、心理学単体だけではなく、ほかの健康関連領域の学問とハーモニーを織り成しながら、効果を上げていくものなのだと。

 健康心理学が目指すところは「ウェルビーイング」、つまり心理的・身体的・社会的に幸福で健康な良い状態なので、そのためには健康なライフスタイルを志向し、健康を増進する活動と疾病の予防に努めることが望ましいでしょう。具体的には、十分に栄養をとって適度に運動し、様々な形で社会とつながり、感動を伴う音楽のような芸術に触れることなどが重要になってきます。

 そう考えると、心理学はもちろん、医学、栄養学や医療技術学、体育学、公衆衛生学、それに芸術学も、アプローチの仕方は違えども、最終的にはウェルビーイングにつながっていく学問と言えます。互いを排斥し合わずにハーモニーを奏で、それぞれの質を高めることで全体としての効果が上がっていくわけです。35年も前に「健康心理学はオーケストラ!」とは、我ながら言い得て妙な表現だと思っています。当時の海外の健康心理学の先輩たちが私の頭をポンポンと叩いて喜んでくれました。

 ――現代の日本は先行き不透明感が強く、少し前にはGDPがドイツに抜かれて世界4位に転落したということで、経済的な低迷も重苦しいムードを醸成する要因になっているようです。こうした難しい状況でウェルビーイングを実現するには、何が大切だと思われますか?

野口 価値観の切り替えが肝要だと思います。自分たちは何のために生きているのかと考えたとき、究極的にはその人が求める「幸せになるため」というのが、その答えるになるはずです。本当の幸せ=物質的に豊かなこととは限りません。いくらモノがあっても、心が豊かで満ち足りていなければ幸せとは言えないでしょう。GDPがグングン伸びていたら国として活気づくイメージはあるけれど、経済成長の優先は環境問題を深刻化させ、格差を広げるかもしれません。はたしてそれは個人の幸せに直結するのでしょうか。

 このように“モノ”より“心の豊かさ”を重視する価値観は、昨今国際的に浸透しつつあり、それがウェルビーイングに対する注目度の上昇につながっています。経済成長にこだわりすぎず、皆がウェルビーイングを実感できる社会の実現を目指すべき――今、そういう方向に舵が切られています。ですから、GDPのランキングの上下動など、さして気にする必要はないとも言えます。

 ――個人として、ウェルビーイングを体現するためにはどんなことを意識すればいいのでしょうか?

図:健康度を測る3本の矢

野口 ウェルビーイングには「心理的ウェルビーイング」「身体的ウェルビーイング」「社会的ウェルビーイング」という3本の矢があります。自分の当てはまる項目が多ければ、この矢が長く伸びていきます。目標を持ち、自己効力感が強くて楽観的な人は、心理的ウェルビーイングが高い人と言えますし、定期的に運動して食習慣にも乱れがない人は、身体的ウェルビーイングが高い人。周囲との人間関係が良好で、社会への帰属意識が高く、ボランティア活動などに関心を持っている人は社会的ウェルビーイングが高い人です。

 すべての矢が長く伸びている状態が理想的ですが、3本の矢はお互いに支えあうことができます。たとえば身体的ウェルビーイングの矢が短くても、心理的ウェルビーイングや社会的ウェルビーイングの矢が長く、心が満ち足りていれば、健康と言えるでしょう。健康心理学には「自分を変える行動変容の選択は、自分で行う」という考え方があります。要するに、変わる力は自分の中にあるので、ボランティア活動やちょっとした運動習慣など、できそうなところからチャレンジしてみることで、ウェルビーイングに近づくことができます。

 態度能力を備え、それを育てていくことは、いま社会で求められている健康企業にとっても必要です。

 誰もがウェルビーイングを求め、互いに譲り合って仲良く、共に心地よく生きることを大切にするようになれば、世界は平和になるでしょう。それを思うと、健康心理学というのは改めて素晴らしい学問分野だと感じます健康心理学を日本に導入し、企業などの各方面に応用された先見の明に敬意を表し、またおよそ25年にもわたってご指導いただいた本明先生には、改めて感謝の念を抱きます。

株式会社ダイヤモンド社 HRソリューション事業室(人材開発編集部)


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